時代は昭和後期

バブル前夜ともいえるこの時代は日本
が最も景気が良かった時代

第一次バスブームで少年だった大多数
は青春時代に景気の良さもあって釣り
から離れ車やバイク、バンドブーム
など低迷の時代となる

しかしどの時代も熱いアングラーは
おりレベルも上がってパターンフィッ
シングも確立されトーナメントが
日本でも各地で開催されるように

バスオブジャパン、JBなどバスプロ
が多数生まれた。

JBでは現在のイマカツ代表今江プロ
やエバーグリーンの菊元プロが琵琶湖
などのトーナメントで名勝負が生まれ
O.S.Pの並木プロやノリーズの田辺
プロは海を渡り本場アメリカのトーナ
メントに参戦

低迷とは裏腹にトーナメントは成熟
して逆に盛り上がりをみせる

ルアーを作る技術も日本人ならでは
の繊細さでどんどん磨かれコピー
ルアーから日本ならではのオリジナル
でリアルなミノーが生まれツィンクル
やブラウニー

そして数々のハンドメイダーが生まれ
ハンクル、リベット、ナベミノー、
クレイジーペンシルなどジャパニーズ
ハンドメイドの名作を残した

この頃

僕はとゆうと東京に移り住み10年間
浅草に住む

バイクやビリヤードにもハマったが
基本はバスフィッシング

しかし東京ではアングラーが少なく
一人でバイクに乗って牛久沼や印旛沼
霞ヶ浦などに毎週出撃していた

この時に覚えた衝撃がファーストイン
パクト

神戸で見つけた必殺ワームが関東では
まだ普及しておらず、どこの釣り場で
も爆釣!

この時代まだ珍しいバスボートが
近づいてきてルアーを尋ねられるぐ
らいに釣れまくった

それがツィンティーズから名前が変わ
った今だにソフトルアーのトップに
君臨するゲーリーのスーパーグラブ
だった

その後も何回となくファーストイン
パクトのルアーを発掘したけど
この爆発力は今だに忘れられない

今でも常にファーストインパクトを
体感できるルアーだけを研究する
きっかけはゲーリーのスーパーグラブ
だった

そしてバブルとゆう絶頂期が日本を
包み当時の東京は贅沢三昧

ジュリアナ東京から霞ヶ浦へとゆう
コースもw

この東京時代はTVと縁がありEXテレ
ビやねるとん紅鯨団にも2回出演し
一歩間違えば芸能界に入るチャンス
だったが釣りに行けなくなったら
いやなのであきらめた

TVといえば今までは釣りごろ釣られ
ごろとか海関係しか無かったが

とうとうルアー主体の番組も飛び出せ
釣り仲間!とゆう番組だったが
そこで釣りのお兄さんとして司会を
していたのが村田基プロだった

その東京の外れ、大井町のアパートの
一室で着々と時代を変える準備をし
ていたのがメガバスの伊東社長。。

メタル系のバンドを解散して大井町
のアパートで趣味のルアーを設計
したりロッドのグリップを削った
りと第二次バスブームの準備が。。

ちなみにTK4総帥も時を同じくして
メタルバンドメジャーデビュー直前
で解散し、赤髪長髪で裸一貫海を
渡りマレーシアにて奮闘していた
ようだ

昭和後期は少し低迷したバスフィッ
ングだったけどトーナメント界や
ルアービルドには成熟していった
時代

この後、残念ながらバブルは弾けた
けどバスフィッシングには第二次
ブームが訪れる事なる。

そして新しい血が日本に上陸する

フロリダラージマウスバス

フロリダを原産とするノーザンの
近縁種で虎柄の模様にノーザンより
デカくなる。

ロクマルになる確率もノーザンより
かなり高いが交配した50:50のハーフ
は記録的サイズに成長し後々の池原
七色、琵琶湖のロクマルラッシュへ
と繋がるのだが

この時代にアメリカ在住のヒロ内藤
さんの手によってバスの聖地、池原
ダムへと放流された

日本のビッグバスはヒロ内藤さんが
生みの親といってもいい

そして第二次バスブームの幕開けが
やってくる‼️

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