その昔、戦国の武将織田信長が人生
50年と謳ったらしいが

僕がバスフィッシングに出逢って40
年。。あと10年で還暦を迎えれば
昔の人の人生をバスフィッシングと
共に歩んできた事になるねんなぁ

僕が見てきたのは昭和から平成、令和
となった40年間

どんな時代の移り変わりだったのか

現代のバスフィッシャーマンへと
伝える意味で書き綴ってみようと思う

まあ写真も無いし、めっちゃ長いの
で何回かに分けるけど

これから僕のようにずっとバスフィッ
シングを愛し続けていく熱くクレイジ
ーなアングラーには是非知っておいて
欲しいのデござる

 

では本編へ

ノーザンラージマウスバス

原産国は北米

学名マイクロプテラス

日本に渡ってきたのは1925年

赤星鉄馬氏の手によって芦ノ湖へと
放流された

しかし実は芦ノ湖だけじゃなかった
らしい

日本各地の湖数カ所に放流された
ようで富士五湖の山中湖もその一つ
らしいが…

実は野池群にも放流されていた

それが兵庫県!

最初に河川で確認されたのも兵庫県
の加古川だが実は日本の歴史で1番
古い野池は兵庫県の神崎郡だった

そこから生野銀山湖や東条湖、そし
て東播野池へと先人の手によって
広がっていったとされている

現代では犯罪扱いだがw

こういった先人の放流活動によって
僕達はバスフィッシングと出逢えた
といえるだろう。

この創成期である大正時代から時は
昭和へ50年ほど時は流れ日本各地で
バスの生息が確認され第一次バスブー
ム到来★

この火付け役となったのは当時、少年
マガジンで連載されていた
「釣りキチ三平」
アニメも放映されてダイワのキャラク
ターとしてもCMで流れて全国の少年
が三平君に憧れた。(僕は魚紳さんに
憧れたので三平君に少しジェラシー
だったがwハカイダーっぽい最初の
魚紳さんはシブかった♫)

ダイワいーわーってゆうフレーズも
三平君がCMで喋った名ゼリフだ

後を追うようにジャンプでは青空
フィッシング、サンデーでは俺は
ナマズもの、コロコロコミックでも

少年が主人公の釣り漫画が連載され

リョービからはクローズドフェイス
リールとロッドのセットがバッグに
入ったダイナフィッシュもCMから
大人気に

 

その頃の僕は小学校5年生

親父に教わり波止から磯釣り、そ
して渓流からフナ釣りまでマルチな
アングラーだったが三平君の連載
「湖のギャング」でガビーンとなっ
てチヌ釣り用のコロネットを振り出し
竿につけて(タキタロウ編を見て真似
たのだが後にABUの大使だったと知
る事になる)

それから基本安いコピールアーを
買い集め、当時はコーモランが安く
次にダイワのコネリーやバスジャッ
カー、バルサマック。リョービか
らはバスラブなど(シマノは出遅れ
た感があった。リールは自転車の
ギア製造メーカーからバンタムと
ゆう名作を出していたが)

海外製で買えるのは安いスプーン
やスピナーでダーデブルやトビー
といったスプーンやブレットンに
パンサーマーチン、トニー、ミラー
パンサーといったスピナー。

ダイワからもツイスト、ダンサー
ファントムといった国産スプーン
も誕生。

ラパラ、へドン、ストライクキング
レーベルにフレッドアーボガスト、
スィンフィンにボーマーなどは
高嶺の華だったがお年玉や塾に行っ
たふりで月謝を使い込んでメイホー
のタックルボックス、バケットマウス
に収集していった。

憧れはオールドパルやアムコだったが

この第一次バスブームは中学生になる
頃には加速し始発の小野行き電車には
ロッドとタックルボックスを持った
少年で座る場所が無かったぐらいだっ

そして国産メーカーからも海外の
コピーから脱却してオリジナリティー
溢れる高級なルアーブランドも誕生
していった

なかでもバルサ50はファイブオーと
呼ばれ大人気に(後のザウルス)

スミスからもへドンとのコラボであ
るスミスカラーやハトリーズといっ
たハンドメイドの量産バージョン
など国産メーカーの創成期でもあ
った。

僕の地元では小野、加西、神出町
加古川などの野池がパラダイスで
1日100匹釣れる事もザラ

まだ生態系が安定していない入って
間もない爆増期だった

神戸から自転車で3時間

テントを積んでロッド片手に毎週が
冒険だった

野池では飽き足らずランカーを求めて
生野銀山湖や平荘湖にも通った

当時は小野で地元の報知新聞が主催
で釣り大会が行われたり全国規模で
もバスダービーが開催されカードと
専用メジャーを買って毎年日本で
何位かを競っていた

しかしこの時代は一気に増えて一杯
釣れるが、まだサイズは小さく40UP
でランカー。ゴジュウは夢のサイズ

しかし加古川の平荘湖(現在は釣り禁止
だが…)で62cmとゆう純粋なノーザン
ラージマウスではメガトンサイズが
捕獲され長い間、日本記録だった

ちなみに捕獲されたルアーはへドン
のブラッシュホッパーというバズ
ベイト。今となっては、なるほどなー
と思える表層で騙していた。

ちなみにこの後、一度愛媛で日本記録
が更新されたがすぐにまた兵庫県が
日本記録更新。63.8cmだったかなw

生野銀山湖でまたもやへドンのデビ
ルダイバーとゆうクランクベイト。

今となっては5月にレッドヘッドで
白のディープクランクでリップの先
に嚙み潰しオモリって

なるほどなー先人の大人達もめっち
ゃ研究しててんなーって思える

当時は大人のアングラーって少なか
ったからね

 

そして僕は年間で500日釣りに行く
神戸界隈でも名の知れたキチガイと
なり(学校始まる前の朝マズメと
終わってからの夕マズメと1日で
2回出撃していたのでw)

タックルもハイキャストからバンタ
ム、ファントム、中3の頃には行っ
てもいない塾の月謝を貯め込みUFM
のスーパーパルサー2にオカンに泣い
て買ってもらった大使、アンバサダ
ー2500Cをベイトフィネス、ラミー
グラスに5000Cをヘビータックルで
毎週キャンプ旅を繰り返し、その
クレイジー加減から大人のアングラ
ーからも可愛がられていた

シマノ主催のJFCとゆう月刊誌では
ジュニアレポーターとして毎月原稿
とイラストを描いたり地元の有名
アングラーである故毛利さん故力丸
さんに教えを頂いており近畿のバス
釣り場とゆう当時のアングラーが
全員買った本にも写真を載せても
らったり後のNBCとなるJBTAの
集まりにも参加して故西山徹さん
に教えを頂き40クラスのイワナを
釣って釣りサンデーの表紙を飾ら
して貰った事も

とにかく度を超えた釣りキチだった
ので先人の大人に可愛がって貰えた
少年時代だった。

雑誌は釣りサンデー以外には関西の
釣りや釣の友などが昔からあったが
ルアーの記事は少なくこの第一次バス
ブームにアングリング、釣りトップ、
そして高校生になる頃にはタックル
ボックスというルアー専門の雑誌も
誕生した。

県外では琵琶湖や池原ダムでも一気
に広がり琵琶湖の山ノ下湾にて故則
さん(ザウルスの創始者でありブラック
バス釣りの楽しみ方とゆう名作の著者
の1人)がフロッグカラーのビッグラッ
シュでランカーを連発!池原でも
羽鳥さんがブッシュペッカーで40UP
100匹とかを雑誌で見て県外の遠征に
憧れた。

ショップも神戸に天狗とゆうプロショ
ップも誕生し、現在でも親交のある
フィネスの前場君やエイト玉津の店長
ダイちゃんと知り合った

その当時TK4総帥は伊勢連合をまとめ
つつ浜松さんに可愛がられ池原に通っ
ていたらしいw

一気に広がり爆発的に釣れたがサイズ
は伸びず、しかし数多くの少年の心を
掴んだ。そんな第一次バスブーム

しかしブームというだけあって徐々に
皆が釣りから去ってバイクや車へと
変わっていく事となる。。

そんな最初の10年の少年時代だった

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