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完全に春の空気に変わった

こんなタイミング無風だったら表層
をデッドスローに…風が吹いたら
ウィンディーサイドのブッシュへ
ラバジ撃ち込んでいきたいなあ。。

まあそんな暇は無くまだまだハード
ワークが続きますが。。

まあこれもバスフィッシングを伝えて
いく為に選んだ道

キープキャストが終わればマレーシア
でのトーマン狩りが待っているので
頑張ろう★

 

さて先週末はエイト玉津店さんのイベ
ントにお邪魔してきましたが

今回も「繋がり」を実感する有意義な
ひとときとなりました。

久しぶりなローカル釣りバカ達との
再会や

 

未来を担う次世代の釣りキチ少年と
の再会

そして青野大会で出逢った釣りバカ
夫婦がお揃えのDKパーカーで来てく
れて…しかも高校の後輩だったって

なんか運命的っすねwしかもガーゴ
イル69も注文してくれました♫

てか久しぶりにサイン描きましたわw

僕はサイン頼まれるとコッパずかしい
のでバスの顔を描き鱒w

しかしT少年、お父さんにガーゴイル
63を買ってもらい、メーカーの社長と
しては、大変ありがたかったですが…

個人としては、これも時代か

いや僕が貧乏すぎただけか

僕があの年頃の時のエピソードなぞ

近所

といっても板宿から長田

チャリンコで15分ぐらい?

そこにプロショップ毛利という釣具店
があった

店主の毛利さんは僕の師匠的存在

当時、仲間はお年玉でバンタムやファ
ントムからアンバサダー

ブラックの5000Cやシルバーの5500C

ロッドもチャンピオングリップに
スミスのFOー60とかでバルサ50を
投げるっ!てな感じがめっちゃカッコ
いい時代だった

毛利師匠は

体格にあったタックルにしろ!

お年玉で買ったロッドはUFMの

スーパーパルサーだった

そしてリールも

ABUを買う時は1500Cか2500C
にしろ!と教えて頂き

その日から棚の中の2500Cをいつも
眺めていた

とある日

毛利師匠が

上田君!ABUがモデルチェンジする
らしいわ。現行はこれが最後やな
売れてもたらすまんけど、これが最後
の一個やわ

…と

釣り人は

リミテッドとか現行とか最後の一個
とゆう言葉に

非常に弱い習性を持つ

僕は特に酷い

あれからとゆうものの2500Cが頭
から離れない

しかし当時で28000円

お年玉でもとうてい買えない高値の花

欲しすぎて悲しくなってきて

部屋の片隅で体操座りでシクシク泣き
はじめてしまった

パチキいれてチンゲも生えはじめた
少年がw

それを見たオカン

「なんか悩みあるんやったら言うて
みぃっ!」

と言われたが家の貧乏さを分かって
いるので言えない

でも押し問答の末、勇気を出して
正直に話した

するとオカン

タンスの奥から3万だしてきて顔を
真っ赤にしながら

「こうてきー!」

バンっとボロい丸テーブルの上に
置かれた

うちに

3万もあったんや

という驚きと

オカンのへそくり?そんなん使った
らあかんやんっ!

ってゆう気持ちを通り越して

2500Cが手に入るっ!気持ちが強す
ぎてオカンに感謝の気持ちを叫び
ながらタイガース号のチャリンコに
またがり走り出していた

時間は9時前

もうすぐ毛利が閉まる

そんなすぐ売れる事は無いと思うが
一刻も早く手に入れたかった

夜のロッケン道商店街を今までで
最速にて走っていた

すると…

前に急に

おじいさんが飛び出して来た!

フルブレーキング❗️

タイガース号はフロントブレーキ
しかなかった

いやフロントブレーキしか効かな
かったとゆうのが正解か

ド派手なフロントフリップ

おじいさんには当たらず
(フロントフリップでおじいさんを
越えたのかっ?)

ガチャガチャに転げまくり

タイガース号は、ひん曲がりあちこち
から流血

おじいさんは大丈夫かー!と見に来て
くれるも

僕には命懸けの急用があるんやーっ!

と曲がったタイガース号で走り去った

血みどろで3万握りしめた僕を見て
毛利さんは、どう思ったのだろう

今となっては、もう聞けないが

三途の河で釣りをしている毛利さんへ

少年が欲しい釣具を手に入れる瞬間
は自分の事のように嬉しいもんです
ねっ!

ニンニン

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